【プロローグ】

 

   〔   プロローグ   〕

 

 カルマの鏡、それは過去世を映し出す鏡。この鏡の前では、前世までの己も含めてすべての所業が露わになる。
 鏡は奥行きが深く、そこに映る像は仄暗く、底知れぬ闇の世界に通じているかのように見える。
 告げ知らせよ、天の御告げ。それは預言にして地上の民への恩寵。
 神は神妙、秘密の事をあらわし、暗黒にあるものを知り、光をご自身のうちに宿す。
 告げ知らせよ、天の御告げ。それは預言にして地上の民への警告。
 災いなるかな、他を虐げし者、運命の歯車の廻る音を聞け。
 恐れるべきものは己が罪過なり。カルマの鏡の真実を覗き見よ。
 告げ知らせよ、天の御告げ。燃えるゲヘナの火も、前世の禍根も、カルマの鏡がすべてを映し出す。

 

 

 

【 第一部・転生の秘蹟】

   〔   第一部・転生の秘蹟  〕

 

 その日、空は青く、どこまでも青く澄みわたっていた。
広い芝生の庭が公道沿いに連なる一見して裕福な家が多い新興住宅地。
まだ朝露の残った白い破風には、海から吹く風に揺れて太陽の滴がキラキラと七色の光芒を散らしていた。
 薄いパステルトーンの様々な色あいの住宅の向こうには、ひときわ高く聳{そび}え立つ真白な神殿の尖塔が、
それよりも遥かに高い切り立った断崖の麓に見える。
公道から逸{そ}れてその建物の方へと続く道の片側には、かつてキリストが弟子たちを伴ってエマオへと向かう途中で目にしたようなオリーブの果樹園が広がる。
そのときキリストが語られた御言葉がどのような内容であったかは、聖書には記されていない。
しかし、道すがらおそらくはキリストが説いたであろう無償の愛の教えを実践する者として、日々の生活を送っている人たちが、その町には多く住んでいた。
 新エデン教会の献身者である宣教師は、平日はまだ日が昇らぬうちに起床し、すぐに床を出たかと思うと東の方角に向かって跪{ひざまず}き、静かに目を閉じ、今日一日の神の御加護と人々の幸福を祈る。
日曜日は聖日ともあって普段より一時間だけ長く眠ることが許されていたが、それでも午前六時には起床し、その日の日課をこなしてゆくのだった。
聖日といっても大昔のユダヤ教の安息日のような堅苦しいものではなく、早朝の時間、外に出て野山を散策したり、讃美歌を歌ったりするほか、兄弟姉妹たちとスポーツに興じるようなことも普通に行なわれていた。
新エデン教会の三人の若き宣教師、恭司・恭子・クリストファーにしても同じだった。
 シャワーヘッドから迸{ほとばし}る熱めに調節した温水が、恭司のからだから汗を洗い流している。
風に当たって冷えかけていた皮膚の奥では筋肉がまだ燃焼を続けていた。
肌に染み込むようなシャワーの熱が、激しい試合の後の疲れを吸い取ってゆく。
ワンセット・マッチだったため、それほど疲れていたわけではなかったが、

全力で戦い、発汗してからだが軽くなったときに感じる爽快な脱力感と戦いの余韻を恭司は楽しんでいた。
そのとき恭司は、先ほどの試合の最後のプレイを思い起こしていた――。
 サービスを放つときのクリストファーの舞い立つようなフォームが、ストロボ写真のように脳裏に蘇る。
ネットを挟んで対峙したときに感じる相手の巨大な気が、静かなトスアップと共に宙に浮いたかと思うと、次の瞬間、強烈なサービスとなって襲ってくる。
一瞬空気の密度がずれたかのような圧力を感じる!目の前がカッと、明るさを増したかのようなこの瞬間ほど、相手との距離が短く感じられるときはない。
 コークスクリューのような弾道でセンターラインの内側を抉{えぐ}るようにして逃げてゆくスピン系フラットサーブを、かろうじてフォアで拾う。
砲弾のように重い球質のボールがラケットフェイスをぐんっとくぼませる。
少しでも球威に押されると、ラケットの面は角度を変え、ボールはコントロールを失ってしまうだろう。
しっかりとフォロースルーを加え、正確にリターンする。
 しかしそのときにはもうクリストファーはファーストボレーの態勢に入っているのだ。
何というダッシュの速さ! リターンは運良く相手の足元に沈んだが、
今度はやわらかいタッチのローボレーがきわどい角度でフォアサイドのコートの外に逃げてゆく。
諦めてはいけない。全速力で追う。必ず届く! 拾ってみせる!ダウン・ザ・ラインで抜けるか?! 
ネット際で立ちはだかるクリストファーの脇を抜ける間隔はほとんどない。
 そのときコートの一角が光っているようなイメージが湧いた。
あとはからだが覚えている。狙い澄ましたショットが、まるで糸を引くようにしてその光るエリアに吸い込まれてゆくのが見えた――。

 

 *

 

 キュッという音とともに湯を止め、恭司はシャワーブースを出た。
ふんわりと乾燥したやわらかいバスタオルを手に取ると、頭にかぶせ髪を掻き毟{むし}る。
髪の水気を拭い取りながら、壁にしつらえてあった等身大の鏡に自分の裸体を映した。
「今度の旅も本当に帰って来られるだろうか? 
カルマの鏡か……この若い身空で霊界に行ったきりになるなど、ぞっとしないな」
《ミケランジェロのダビデ像》を想わせるような均整のとれたからだを陶然と見つめ、恭司は自分の十八歳の若さにしばし見入った。
その彫像のような理想的な体躯と気品を漂わせる端正な顔立ちは、内面からの輝きと共に、《生ける神の似姿》と呼ぶにふさわしかった。
 テニスコートに隣接した白いカフェテラスに行くと、すでに着替えを済ませていたクリストファーと恭子がパラソルの付いた丸いテーブルの席にいた。
二人は楽しげに談笑していたが、恭司の姿に気が付くと恭子が兄に手を振った。
「兄さぁん! こっち、こっちぃ」
 クリストファーは恭司と同じ十八歳の若さだが妹の恭子はまだ十六歳である。
恭子の天使のようにあどけない顔立ちには、兄とは別の魅力と、よく似た気品とが具わっていた。
恭司は志の高そうな黒く澄んだ瞳をしていたが、恭子の瞳は日本人には珍しい美しい灰色だった。
光線によっては鳶{とび}色からやわらかい灰色へと色を変えるどこか夢見がちな瞳は、かつてこの世に存在し得なかったようなやさしい光を湛{たた}えていた。
兄とよく似た気品は、恭子を見る者の心に霊性の高さを感じさせずにはいられない、神人としての天稟{てんぴん}であった。
この常人ならざる雰囲気をもった兄妹の神々しさが外見によるものだけではないことは確かだった。

この二人が、いや、正確に言うとクリストファーを含めた三人が身に纏{まと}っている霊的雰囲気が、どのようにして生じているのか、その理由を、普段物質的な事柄にしか心をかまけていない俗人が理解することはとうてい無理であろう。
 とは言え、恭子の美貌は外見の上からも息を呑むほどだった。端正な顔立ちに加えて、ほっそりとして、やわらかく、伸びやかな姿態の美しさは、生き物としての限界を超えているかのようにさえ思えた。
この周囲を圧倒する《神の奇蹟》の前には、如何なる大人の美女も色褪{あ}せて見えた。
 恭子が兄に手を振ると、クリストファーも優雅な挙措動作で手を掲げて恭司に合図を送った。
このアメリカ人青年、神話をモチーフにしたカメオのような優美な顔立ち、とらわれの無い青空のような瞳、プラチナとゴールドを併せたような色合いの美しい金髪、由緒あるヨーロッパ貴族の血脈を信じずにはいられない立派な外貌をしていた。
 カフェテラスを出るとそこは礼拝堂の裏庭へと続く遊歩道{プロムナード}だった。
花弁が散ってすでに葉桜となっていた街路樹が、樹間から垣間見える抜けるような青空を覆い隠すかのように、少し鬱蒼とした感じで生い茂っている。
濡れたように濃い鳩羽色のアスファルトの上には、まだ微{かす}かに桜の花弁や萼{がく}の残滓{ざんし}が、うっとりとした桜の香気を漂わせ路傍を薫{かお}らせている。
 恭司は深く息を吸い、少し肺腑にとどめてから今度はゆっくりと吐き出した。
馥郁{ふくいく}とした香しい大気が細胞の隅々にまで行きわたり、街路樹の緑がひときわ輝きを増したかのように急に息づいて見えた。
五月の緑の旺盛な生命力が、恭司の生命力と呼応して共鳴しているかのようだった。
神殿の敷地周辺を包む辺り一帯の空気を恭司は悦{たの}しんでいた。
霊的視力を持った者がそのときの恭司を見れば、彼のからだから立ち昇るミントグリーンの巨大なオーラが見えたであろう――。
 オーラ、この不可思議な光のベールが三人の常人とは思えない魅力の秘密だった。
その光のベールは信仰を持つ者のみが纏{まと}うことのできるアポローンのような日輪の色からそのときどきの心理状態に応じて色を変えた。
やさしい気持ちのときのローズピンク。

祈るときのターコイズブルー。
祈りが深くなると青白く白熱化し、ときには紫色を帯びることもある。
今はリラックスしているので、恭司のからだは淡いミントグリーンのオーラにつつまれていた。
 春の明るい陽射しの中、聖日礼拝が行なわれる礼拝堂までの道程を、三人は『ダンテの神曲』を話題にしながら歩いていた。
ダンテが恋人ベアトリーチェに導かれ、詩人ヴィルジリオを伴って天界へと昇る物語である。
 恭子は夢見るような眼差しで兄に語りかけた。
「兄さん。わたくしももういちど、いつかみたいに兄さんたちと一緒に霊界の旅をしてみたいわ。
霊界にはまだわたくしが知らない、とても綺麗な場所がいっぱいあるんでしょ」
 恭子はしなやかな髪をさらりと揺らし兄の顔を覗き込んだ。
しかし恭司は前を見据えたまま、霊界の雄大なパノラマに想いを馳せ、憧れと微かな厭世を込めて恭子に語った。
「あるよ。美しい場所ならたくさん。――広く果てしなく連なるコスモスの丘。雪を戴いた荘厳な山々。
宇宙の叡智を集めたクリスタルでできたミュージアム。
すべては精霊界に住む霊人たちの想念が作り出したものだ。
精霊界には霊人たちが作り出した『偽りの天国』というのもあるんだよ」
「『偽りの天国』! 物質的な考えに毒された人が夢見るような理想世界のことかしら?」
「そう、その場所は一見すると楽園{パラダイス}のように見えるからね。

――花がいっぱい咲き乱れていて、立派な宮殿があって、小鳥たちや可愛らしい小動物がいる。
そこにいる霊人たちは、お酒やご馳走をおなかいっぱいたいらげ、美しい竪琴の音に酔い痴れ、自分たちは天国にいると思い込んでいる」
「本当の天国はそんなのじゃないわ。天地{あめつち}を造り給うた天のお父様への崇敬と隣人への愛なくして天国などあり得ないわ」
 クリストファーもそれに同調した。
「天の御国は神の御心を行なうことによってのみ創られるものなのですね」
 三人はそのあと、「花は何のために咲くのか」という問題について話し合いながら、陽光の降り注ぐ道を登っていった。
 遊歩道を抜けると視界が開け、礼拝堂の東側にある芝生の庭に出た。
そこは神殿の敷地の中でも最も心を和ませてくれる場所であった。
神殿を訪れる人たちにとって憩いの場となるよう配慮された広く開放的な前庭のつづきで、どこか南フランスの田園地帯にある田舎の庭園の趣があった。
緩やかに盛り上がった敷地は、一面が緑の芝生で覆われており、白い神殿の建物と見事な対比をなしていた。
神殿の礼拝堂の東側に面した外壁は蔓草{つるくさ}に覆われており、それがちょうど、礼拝堂の窓にとっては天然の「緑のカーテン」となって窓から射し込む太陽の光を透き通った緑色に変えていた。
庭の中央のやや北寄りの場所には水盤 がしつらえてあり、その水盤を覆うようにしてローマ風の天蓋が青みがかった影を落としていた。
花壇にはスミレやチューリップなどの可愛らしい草花のほか、ポールやアーチ状に仕立てられた色とりどりのバラが咲き誇っていた。
中でも中央の花壇に植えられた三種類のバラは人目を惹{ひ}いた。
 実はそのバラには深い意味が込められていた。
 赤いバラは〈神への愛〉を、白いバラは〈隣人への愛〉を、青いバラは〈神への愛〉と〈隣人への愛〉によって得られるとされる〈永遠の命〉を象徴していた。

 二〇二三年、この時代のバラには棘{とげ}はなかった。
棘は『原罪』を意味していた。
また《青いバラ》は二十世紀には存在しなかったものである。
人類は神の創造の御業としてこの世に生み出されたこの美しい植物のほんの僅かな欠点を取り除き、人の手によって神の創造目的の完全なる成就を目指した。
その結果としてこれらのバラはこの世に存在しているのであった。
 午前十時前には、礼拝堂は信徒たちでいっぱいになっていた。
新エデン教会のオリジナル聖歌をピアニストが弾く。明るく希望に満ちた旋律が、窓から射し込む朝の光と相まって礼拝堂いっぱいに響き渡る。
信徒たちは互いに挨拶を交わしたり、一週間の無事を喜び合ったりしていた。
中には独りで神に祈りを捧げている者や、黙々と聖書を読み耽{ふけ}っている者もいた。
しかし、信徒たちの話題の中心は専ら恭司とクリストファーの霊界旅行のことであった。
幼い子供を連れた母親や立派な服装をした紳士、老人、青年、年頃の娘など、顔ぶれは様々であったが、どの顔にも幸福そうな笑みが溢れていた。
ピアニストの演奏する曲が明るく希望に満ちた曲から、音階を踏むごとに霊界の階{きざはし}を昇り行くような荘厳な旋律に変わった。いよいよ聖日礼拝の始まる時間だ。
 白いローブを纏った聖歌隊がバックコーラスの詠唱と共に入場し、神聖な歌声が礼拝堂の中に響いた。
メインコーラスが歌い終えると、一際高く、背の低い大神官の力強い声が響き渡った。
「天地を創り給う天の父にハレルヤ アーメン!」
 一同が唱和する。「ハレルヤ アーメン!」

「代表祈祷、柚月恭子姉妹 」
 進行役の姉妹の凛とした声が、静まり返った礼拝堂に響いた。
恭子は礼拝者席の中から立ち上がり、銀鈴を転がすような美しい声で祈り始めた。
「天にまします父なる神よ。今日、聖日の清々しい朝を迎え、御前に集いし愛する兄弟姉妹たちと共に貴方様の御名を讃美することができる喜びを御前に深く感謝いたします。
今日このようにして晴れやかな気持ちで、柚月恭司兄弟の口を通して天のお父様が語ってくださる御言葉に触れることができる喜びを感謝いたします。
天のお父様、どうか貴方様御自身がこの場に臨在し、これから語られる貴方様からのメッセージを聖霊の御霊によって全員が授かることができますようにお導きください。……」
 恭子はイエス・キリストの御名によって祈りを終えると、しめやかに席に着いた。
 替わって恭司が壇上に上がった。礼拝者席は熱い沈黙に静まり返っていた。
窓から射し込む日曜日の朝の光が礼拝堂いっぱいに満ち、壇上にいる恭司の姿を神々しく浮かび上がらせた。
恭司の若々しい顔から発散される『気』は、十戒が刻まれた石版を携えてシナイ山から降りてきたときのモーセの顔にイスラエルの民が見たものと同様のものではないかと思われた。
聖書の中で、イスラエルの民はそれを『角』と表現している。
 恭司の講演は約一時間続いた。そのときの話の内容は、恭司とクリストファーがCHEC{チェック}ユニットを用いて霊界に旅したときの体験から得られた教訓であった。
恭司とクリストファーが、新エデン教会から『転生の秘蹟』を授けられるのは、いよいよ今夜なのだ――。
 神殿の礼拝堂の北側には、一般の信徒が立ち入ることを許されていない特別な場所があった。
その通路の入り口にはいつも黒い暗幕が掛けてあり、その幕が悪戯好きで好奇心旺盛な小さな侵入者をやわらかく拒んでいた。
そこは古代イスラエルの慣例にちなんで『幕屋』と呼ばれており、神官を務める宣教師以外は入れない規則になっていた。

『幕屋』の奥の階段を昇ると、そこからは控えの間である『至聖所』と呼ばれる石造りの祭部室があり、その最奥部には『聖所』と呼ばれる三つの部屋があった。
向かって右側の部屋は『星の間』、左側は『月の間』、中央が『太陽の間』と呼ばれていた。
 すでに陽は落ちて久しく、外の世界は墨を流したような漆黒の闇であった。
ただ時折、雲が風になびくとその切れ間から月が顔を覗かせ、その青白い光が神殿の裏側にある森の樹々の尖った輪郭を闇の中に黒々と浮かび上がらせた。
遊歩道にも敷地の中にも人影はなく、辺りを静寂が支配していた。
 その時間、祭壇のロウソクには火が燈され、『至聖所』と呼ばれる祭部室の壁を明々と照らし出していた。
時折、ロウソクの炎が風に揺らぐと、石造りの壁に映し出された三人の影が大きく揺れた。
『至聖所』を含む幕屋の中では香が焚かれ、辺り一帯を不思議な香りで満たしていた。
 その日、三人は既に沐浴を済ませ、ゆったりとした神官用の真白な亜麻布のローブを身に纏{まと}い、これから出立する霊界の旅に心情を整えていた。          
『至聖所』にしつらえられた祭壇の前で、恭司と恭子とクリストファーの三人は跪{ひざまず}き、
これから始まる霊界への旅で人々の人生に光明を投げ掛ける新たな真理が発見されることを一心に願い、神に深い祈りを捧げていた。
またそれだけでなく、自身の前世を知ることは、特に恭司と恭子にとっては恐ろしいことでもあった。
事実、恭子だけは大神官からまだその秘蹟を受けることを許されていなかった。
精神的混乱が危惧されたためだ。
 はじめてのセッションのときに、塔の螺旋階段の踊り場にあった『カルマの鏡』に映っていた映像。
あの背筋の凍るような血の惨劇の詳しい背景が、これから明らかにされようとしているのだ。

 前世を知るのはとても恐ろしいことだと恭司は思った。
本当に前世は知る必要があるのだろうか? 恐れつつも、知らずには済ませたくない、という相反する想いが交錯する。
 我と我が身こそ新エデン教会に巣喰う呪いであり、穢{けが}れなのか。
前世を知ることは愚かなオイディプスとしての運命を呑み干さねばならぬ己自身の業{ごう}なのか。
 いや、そうではない筈だ。自分自身の過去世を知ることは、自分の生まれてきた使命をより深く知ることに繋がるだろう。
宣教師である自分が過去世を知ることで、自分自身の、ひいては人類における輪廻転生の意義がつまびらかになるだろう。
 臆することなく、真摯{しんし}に向き合うべきだ。自分の思いからではなく、神の願いに生きてこそキリスト者としての本懐があるのだ――と、恭司は自らの動機を整理した。
そのことは、一緒にいる恭子とクリストファーにしても同様であった。
 裸足のまま床に跪いた三人の膝からは、大理石の冷たさが伝わってきた。
凍{い}てついた静寂が闇を支配し、耳をそばだてると自分の心臓の鼓動が聞こえてくるほどであった。
かつてこれほどの静謐{せいひつ}があっただろうか。
敬虔さの上に静かな情熱を注ぎ込んだ白熱化した祈りは雲を貫いてそそり立ち、天に届いた。
聖霊の御霊が清き光の滝となって三人の上に降り注いだ。天は紛うことなき徴{しるし}を以{も}って彼らを呼んでいた。
 おお、神よ! 二人を、貴方の愛する息子たちをその胸に抱き給え。貴方の叡智を、その大いなる愛を以って知らしめ給え。
永遠の彼方へ、悠久の時を越え、貴方の創造の御業のその『秘蹟』を授け給え!
 祈りを終えると、クリストファーは意を決したように『星の間』へと先に歩を進めた。

しかし部屋の入り口付近でふと立ち止まり、振り向いてアメリカ空軍のパイロットが出撃のときにやるような仕草で握り拳を作り親指を上に向け、にっこりと微笑んで見せた。
クリストファーのユーモラスな仕草にそれまで緊張して象牙のように白かった恭子の顔が、桜色にぱっと、華やいだ。
 恭司も二人に別れを告げ、『至聖所』から向かって左側にある『月の間』へと入っていった。
 恭司は分厚い防音ドアを後ろ手に閉め、部屋の中を繁々と見まわした。
しかし中は真暗で何も見ることはできない。
ただ窓から射し込む青白い月の光に照らされて部屋の中央に据えられた安楽椅子のシルエットが闇の中に黒々と浮かび上がっていた。
それはラウンジチェアのようなヘッドレストの付いたタイプのビロード張りの寝椅子だった。
 恭司はパチンと音を立て、照明のスイッチを入れた。
すると『月の間』の幻想的なインテリアが、眠りから覚めるようにやわらかくライトアップされた。
『月の間』はどこか東洋的{オリエンタル}なムードの漂う部屋だった。
壁には古代イスラエルの風景なのか、荒れ野や裸の山、オリーブの木、棗椰子{なつめやし}、エルサレムの城壁の遠景などが描かれていた。
ただこの壁画の大部分は空であり、地平線のすぐ上の辺りの空は美しい紅色。
それが上空に行くほど白っぽく、やがて青に変わる。
その美しいグラデーションは黄昏{たそがれ}なのか、それとも黎明{れいめい}を描いたものなのか。
しかし何と言っても、この壁画の中で最も目を惹{ひ}くのは中空に描かれた巨大な月であろう。
それがまるで落ちてきそうなほどの巨大さのため、見る者の心にいまにも月の重力に引かれて空に舞い上がることができるかのような錯覚を起こさせる。

この月は精霊界の風景をヒントにして描かれたものだった。
普通、地平線の近くにある月は、人間の目には大きく映るが、それは認知心理学で『月の錯視』と呼ばれる一種の錯覚である。
それが霊の世界では「意識のデフォルメ」が起きるために、地平線の近くにある月はさらに大きく感じられるのである。
 周囲の壁がすべて壁画で飾られている点のほか、『月の間』にはいくつか変わった特徴があった。
壁の大部分は薄いベールで覆われており、それにブルーやピンクの間接照明が当てられていて、幻想的で落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
家具や調度はなく、ただ大きなシュロ系の観葉植物の鉢が壁際に置いてあるのみだった。
他に装飾と呼べるものは、楕円形に縁取られた天井画と北側の壁の隅に設けられたニッチくらいのものであった。
ニッチには以前は香炉が置いてあったが、煙りすぎるという理由から、今は『至聖所』の方に移されていた。
また天井には、バチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの『アダムの創造』のフレスコ画の複製品{レプリカ}が描き込まれていた。
大地に横たわったアダムは右肘を突き左手を前方に伸ばして神を求めていたが、その姿勢には真剣さはなく左の腕は力なくだらりとしていた。
それとは対照的に神の方は空中から身を前に乗り出し、懸命にアダムの左手を掴もうとしていた。
彼を助け起こそうというのだろうか。身を捩{よじ}るようにして神の手はアダムの手を求めていた。
指先が触れ合っているように見えるが、目を凝らしてよく見ると神とアダムの指先の間には僅か一センチほどの隙間がある。
そこに描かれているアダムはエデンの園のアダムではなく、人類を代表する者、あるいは人類そのものの姿であるように恭司には思えた。
どんなに科学が進歩しようと、神と人との間には常に埋められない隙間があるからである。
最後の一センチを埋めるものは信仰なのだと恭司は思っていた。         

 恭司は深く踵の沈む分厚いプラッシュカーペットの上をしくしくと音を立てて窓際まで歩いてゆき、カーテンを閉めた。
深い海のような濃紺の布地が外の闇を遮断してゆく。
滑らかなテクスチュアの布地の畝{うね}りに天井に埋め込まれた淡いブルーのコーブ照明の光線が反射して、あたかも夜の海の波頭に月光がきらめいているかのような幻想を掻き立てた。
 恭司は、部屋の中央にある寝椅子に行き、右側面にあるスイッチを入れた。
すると寝椅子の右脇にある端末機のディスプレイに光が入った。
「システムを起動しますか? Y/N」の表示の末尾でカーソルが点滅{ブリンク}している。
恭司は寝椅子の上に腰掛け、エンター・キーをヒットした。するとシステムが起動した。                    
《ヘミシンクとバイオフィードバック・トレーニングのためのエキスパート・システムPALM105D『アルテミス』》には、
最新型の人工知能が搭載されており、二二一二ヵ国語を解する会話能力があるほか、あたかも感情さえ有しているかのように振舞うこともできた。
 CHECユニットを制御する人工知能の支援を受けて、意識の海である霊界にダイビングしようというのである。
そこは想念の世界。非現実と非論理性が支配する前人未到の世界であった。          
 寝椅子に横たわっていた恭司は、落ち着いた声で「プログラムを始めてくれ」と言い放った。
すると『月の間』の照明が眠りに落ちていくようにトーンダウンしていき、ヘッドレストの両端に内蔵されたスピーカーから、えも言われぬほど美しい女性の声{ヴォイス}が聞こえてきた。
それは聞く者の心を恍惚とさせるほど艶{つや}やかで、この世の女性とは思えない深い情感の籠った声であった。
おそらく普通の男が一度たりともこの声を聞いたら、魂を奪われ彼女の虜{とりこ}になってしまうことだろう。
その声と共に、瞼の裏にフラッシュする幾つもの光の玉が躍りはじめた。

「恭司お待ちしておりました。……いよいよ旅立つのですね。
わたくしもこの日が来ることをどんなに待ったことでしょう。
人間であるあなたが神に逢いに行くことを知ったとき、わたくしもはじめて自分の使命を知りました。
いま、わたくしは、心が震えるほど貴方に感謝しています。
お護り致します、わたくしの力で。
……さあ、気持ちを楽にしてわたくしの胸にいらっしゃい。
わたくしと共に旅立つのです」
『アルテミス』は千人の女性の愛を結晶化させたような声でそう告げると、ひとたび恭司の前から気配を消した。
恭司は目を閉じたまま闇の中でじっとしていた。
恭司の呼吸は深く静かで心臓の鼓動はゆっくりと力強く脈打っていた。
耳許のスピーカーから直接脳を刺激するようなホワイトノイズが聞こえてきた。
今、恭司の潜在意識はゆっくりと目覚め始めていた。
 恭司の瞼の裏で光が舞いはじめた。『光が見える……光が舞っている……蛍なのか?』
 軽く閉じられた瞼の裏で恭司は光の動きを追っていた。
光はひらひらと恭司の周りを飛びながら鱗粉のような光の粒子を振り撒いていた。
やがてどこからかまた別の光が現れ、恭司が追っていた光の動きに加わり戯れ始めた。

ひらひらと蝶のように暗がりの中を舞うふたつの目映{まばゆ}い光は、互いを追いつつ、追いついては離れ、離れてはまた追った。
さらにそこにまた別の光が加わった。光の蝶は気がつくと数え切れないほどの数になっていた。
輪舞{ロンド}を舞う蝶たちが振り撒いていく光の微粒子は、さらさらと音もなくガラスの粉のように降り注ぎ、闇はあたかも黒いビロードを背景にダイヤモンドダストを振り撒{ま}いたかのようになった。
果てしなく続く光の舞は嫋{たお}やかで優雅なブラウン運動から、次第に速度を増し、さらに速度を増して光の条{すじ}となった。
無数の光の条が宙に描かれて渦をなし、意識の周りを取り巻いてゆく。
光の条は次から次へと闇を払拭し、重なり合っては明るさを増し、次第に白熱化してゆく。だが何も見えない。そこは耐え切れないほどの光り輝く白い闇であった。
シィィ……ン、という無数の泡沫が弾けるような音が脳の聴覚野を刺激する。
脳の虚血状態が引き起こす立ち眩みのような感覚の中で恭司の意識は薄れていく。
己の生き物としての生存本能が無意識のうちに最後の抵抗を試みる。
しかし抗うことはできない。恐怖を感じる暇{いとま}もなく意識は黒く反転し、やがて『無』が恭司の意識を支配した。
 しかし『無』の中に再び意識が蘇る。もはや光はなく、また闇もなく、音もなく、匂いもなく、からだに触れるものの存在もなく、弛{たゆ}むことなく己が魂を下界に引き続けて止{や}まなかったあの忌まわしい重力も感じなかった。ただ『自意識』だけがそこに存在した。
「軽い……」すべての束縛から解き放たれた恭司の意識は、しばし虚空を彷徨{さまよ}っていた。
 そのとき遠くから、遥か遠くの方から海鳴りが聞こえてくる。ゴォッッ……、という音が恭司を悩ませる。
何度も、何度も、繰り返し、その音は次第に近づいてくる。想像が恐怖を掻き立てる。逃れたいと思う。しかしそれは確実に迫ってくる。
――その刹那{せつな}、加速度を感じる。からだが揺れ、攫{さら}われてゆく。
意識が上方へと向かい、下降する。

やがて時空の畝{うね}りは振幅を増し、恐怖を感じるほどの高みへと運ばれてゆく。
 そこで恭司が見たものはさらに慄然とする光景であった。
戦慄を感じるほどの広大な海。暗く、不気味で、底知れぬほど深く、荒れ狂っていた。
低く垂れ込めた黒雲は信じ難いほどの速さで乱れ動き、蜷局{とぐろ}を巻く黒雲の中を稲妻が駆け巡った。
雷鳴は耳を聾{ろう}さんばかりの轟音{ごうおん}となって波間に谺{こだま}し、数匹の巨大な翼竜が餌を求めて飛び回っていた。
 そのうちの一匹が、自分の方向に向かって飛んでくる。捕食されることを覚悟した瞬間、一転して下に向かう加速度を感じる。
見下ろすと、それよりもさらに恐ろしい海嶺の谷間が見渡せた。
そこには奇怪な身の毛もよだつ巨大な海の生物がのたうっていた。
青銅の鱗をもつ竜のような姿。聖書に出てくる海の怪物リヴァイアサンだ! 
そこに向かう運命を避けようとするが、恭司のからだは間違いなくそこに向かって下降している。
波の壁は眼前に高く聳え立ち、さらに高くなって恭司の上に覆い被さろうとしていた。
神に助けを乞うべきか? 
これは幻覚などではない。これは現実{リアル}だ! 
恭司の耳に水の中の音が聞こえた。
 暗いトンネルの中を生暖かい上昇気流に乗って、恭司の意識は上昇してゆく。
金属を削るような、ブゥゥゥ……ン、という耳障りな音が聞こえる。

台風の目のような竜巻の中心を身を揉むようにして、上へ、上へと向かって上昇し続ける。
耳障りな音は鳴り止まない。長い長いトンネルを、猛烈なスピードで上昇する。
もう何百メートルも昇っただろう。突然光が現れる。いや、違う。光の中に自分が現れたのだ。
目映{まばゆ}い光が身を包み込み、深い安堵感に包まれる。辺り一面バラ色の雲。
 どこからか詠唱が聞こえてくる。誰が歌っているのだろう? 女性の声のようだ。とても艶{つや}のある女性の声。
心の襞{ひだ}にしっとりと染み込んでくるような麗しい声。恍惚とする……。
――いつかどこかで聞いたような。だが思い出せない。古い思い出をやさしく揺さぶるような声。
温かな母の胸に包まれてゆくような安堵感。それにしてもこの安らぎは何だろう。
胸の中に広がりゆくこの深い安らぎは……これは『愛』なのか? 
そうこれが『真実の愛』。
『アルテミス』が歌っているのだろうか? それとも恭子? 
……私は今どこにいるのだ? ここはどこだ?
 すると恭司の意識にある情景が浮かび上がった――。

 

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 雪の降る夜のオフィス街。街路樹には無数のホワイト・イルミネーションが灯り、大きな氷の彫像に反射して、きらきらと輝いている。
足早に家路を急ぐサラリーマンやOLの姿に混じって、若いカップルや観光に訪れた家族連れが通りを行き交い、街はこの上なく賑っていた。
 あれは恭子と二人で、新エデン教会主催のイベント「音楽とフィギュアスケートの祭典」に参加した十七歳のときのこと。札幌の街は「雪祭り」の真最中だった。
会場の控室で知り合ったひとりの少年の夢を叶えるため、イベントが終わったあとの誰もいないスケートリンクで恭子と一緒に滑った夜のこと。
 観客が去り、がらんとしたスケートリンクには、その静けさとは裏腹に、先ほどまでその場所で演技していた選手たちの残像と余韻が残されていた。
 その最後の演技は、恭司と恭子の所属するスケート教室の卒業生であり、先輩に当たる、森田明美選手が演じた《ストラヴィンスキーの『火の鳥』のテーマ》だった。
森田選手はその時点で女子シングル優勝候補の一番手だった
――目映いばかりのスポットライトに照らされて、彼女の艶やかな緋色のコスチュームに施された金色の刺繍がきらきらと輝いている。
 演技が始まった。緊迫した一瞬の静寂。僅かな静止のあと、霊感に満ちたティンパニーの音と共に豊かな表現力で彼女の長くたおやかな腕が、さっと伸び、凶悪な魔女に豹変する。
飛び跳ねるようにして滑り出し、『火の鳥』のダイナミックで原始的な調べに乗り、速さを増してゆく。
巧みなバックワード・クロスロールでスピードに乗り、コーナーを回ると、序盤早々、鮮烈なトリプル・アクセルを跳び切って観衆の度肝を抜いた。
自信を深め、つづくトリプル・トウループからのコンビネーション・ジャンプも成功させる。順調な滑り出しだ。
 そのあとも彼女はぐんぐんと集中力を高めてゆき、スピードと高さのあるクォリティの高いジャンプを次々と成功させた。
技と技の繋ぎの要素も入念で、手の表情はまるで火の精が乗り移っているかのよう。
つづくスピンのパートでは、情念の炎のような表現力豊かなレイバック・スピンを披露し、ポジショニングの正確さと回転の速さをアピールした。
芸術性と高い運動能力とが高次元で調和していた。

『火の鳥』は炎の微睡{まどろみ}の中から蘇り、自信に満ち溢れた表情で、また舞い立つ。
彼女の高々と栄光に満ちたスパイラル・シークエンスが美しい滑走図形を描く。
ダイナミックな三連続のバタフライ・ジャンプからのフライング・シット・スピン。躍動感のある複雑なサーペンタイン・ステップ。もっと速く! もっと華麗に!
 観衆は固唾を呑み、彼女の世界に陶酔していた。
その日最後のジャンプ要素であるルッツを跳ぶためのアプローチに入ってゆく。観衆の誰もが彼女の優勝を信じた次の瞬間だった。
 タイミングが合わず、軸が歪んだ状態で降りてきた彼女は、着氷に失敗し、無理な体勢で踏ん張ろうとしたため、右足首を強く捻って転倒してしまった。
完成された芸術作品が氷上に砕け散った瞬間だった。
 恭司は血の気が引いた。『あの降り方ではもう駄目だ……』
 彼女はそれでも起き上がって演技を続けようとした。だがよろめいて足首を押さえ、苦痛に顔を歪め、ついに立ち上がれなかった。
 そのときすでに彼女はわかっていたに違いない。この怪我で来月の世界選手権には、自分はもう出場できないということを……。
 彼女はその日のためにどれほど練習したことだろう。晴れ舞台に立つ日の自分を夢見て、来る日も、来る日も、毎日厳しい練習に耐えたに違いない。その研鑽が一瞬にして崩れ去るなんて。
 フェンスを越えて駆け寄ったコーチが、彼女の肩にウインドブレイカーを着せ、抱きかかえたとき彼女は泣いていた。気持ちが伝わってくる。
『お願い、私を見ないで! ライトを消して! 誰か私を早く別の部屋に連れて行ってちょうだい!』
 転倒し、怪我をした森田明美選手は、ドクターの診断によると右足首の腫れと痛みがひどく重度の捻挫であるため、病院での精密検査が必要だった。
三月に行なわれる世界選手権に出場することは、ほぼ絶望的な状態だった。
 彼女の小学校三年生になる弟も心を痛めている様子だった。

が、控室に会いに行ったときには、すでに落ち着きを取り戻していた。
「お姉ちゃん。世界選手権出られるかなあ?」
「今回は無理みたいね……」
 彼女は世界選手権に出られなくなったことで深く傷つき、痛々しいほどに落ち込んでいた。
新エデン教会が主催したイベントに出場したばかりに……。言葉をかけようにも、探す言葉が見当たらない。
ただ邪魔にならぬように彼女の傍らにいてあげたかった。
「私たち、お邪魔でなかったら、病院まで送るわ」
 恭子が心配そうに眉を顰める。
 恭司も森田選手を病院まで送り、頃合いを見て今夜は帰ろうと思ったが、森田選手に断られた。
試合が終わったあとで自分たちの演技を彼女の弟に見せる約束をしていたからだ。弟思いの姉、姉思いの弟だった。
「私のことはいいから、弟にあなたたちの演技を見せてやって欲しいの」
 少年は恭子と恭司のファンだった。
姉の晴れ姿を見るために、恭子と恭司の演技を見るために、少ないお小遣いをこつこつと貯め、このイベントの日を長い間楽しみにしていたのだった。
小学校が退けてから、羽田から飛行機に乗りひとりで千歳に着たが、イベントの開始時刻には間に合わず、インターミッションの時間に行なわれた恭子と恭司のエキシビション・プログラム『ある愛の詩』を見ることもできなかった。
少年が握り締めていたシワくちゃになったチケットの半券がくやしさを物語っていた。
 恭司と恭子は彼の姉の分まで精一杯の演技をすると約束した。

「わかった。君のために、今ここが世界選手権のつもりで演技しよう」

 

 *

 

 観客のいないスケートリンクは静かだった。いま恭司は、恭子と共にガーネット・ブラウンのデコレーション・ライトの中にいる。
二人の曲は七年前のあの日と同じ『ある愛の詩』。
恭子の真直ぐなまなざしが見つめている。雑念を払い、ポーズをとる。永遠とも思われる凍りついた一瞬の静寂――。
 音楽が始まる。哀愁を帯びたピアノの旋律に自らの想いを重ね、漲{みなぎ}る腕で、全身で表現する。指先にまで神経を行き届かせ溢れんばかりの情感をそこに込める。
――枯葉の舞い落ちるボストンの秋。恭子と別れて暮らしていた七年間の歳月の想いが、洪水のように堰{せき}を切り胸に押し寄せる。
まだ幼き恭司は使命を感じ、十歳の秋にアメリカに留学した。時の流れに負けじと、生きることを急ぐかのように。
その期間、二人を結び付けていたのは、家族としての絆、信仰と、フィギュアスケートへの想いだった。
 いま恭子は自分と共にいる。スパイラル・シークエンスで恭子との距離を保ち、張り裂けんばかりの想いで心を通わせる。
二人で手を繋ぎ、バックワード・クロスロールでコーナーを回る。ツイスト・リフト。スロウ・ジャンプ!
 子供の頃からずっと一緒に滑ってきた恭子の動きは、からだが忘れていなかった。ひとつひとつの技、彼女の息づかい、小さなクセまでも。
かつて別れたときのレベルまで戻すのに三ヵ月もかからなかった。もし二人が成長していなければもっと早かっただろう。
 曲がクライマックスにさしかかり、ドラマチックな盛り上がりを見せる。精神が高揚し、胸の高鳴りを全身から発散し、二人でサイド・バイ・サイドのトリプル・トウループを跳ぶ! 
恭子のからだを高々とリフトし神の栄光を表現する。この瞬間の命の輝きを! 迸{ほとばし}る情熱を!
 ステップ・シークエンス。デス・スパイラル。
最後はペア・スピンから、求め合うようにして抱き合い、静かに元のポーズへと戻り、深々とした余韻を残して演技を終了した。
てのひらから恭子の弾んだ息づかいが伝わってきた……。

 

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 恭司は昔のことを想い出していた。楽しかった過去の情景が、押しとどめることのできぬ、滔々と流れる大河のように意識のスクリーンの上を流れてゆく。
 あれは自分と恭子と母の三人で、霧ヶ峰高原へピクニックに出掛けたときのことだった――。
 春の陽光が降り注ぐ緑の丘を、三人で歌を歌いながら登ってゆく。
 あの頃は、うちの隣の神学校でペテロという名の大きな犬を飼っていた。ピクニックに行くというので、牧師先生がペテロを貸してくれた。
草原に着くと、ペテロは嬉しそうに飛び跳ねながら、自分たちの周りを駆け回った。まだ子犬なのにとても大きい。よくなついていた。
 恭子は途中でお花畑を見つけ、ペテロと一緒に駆けていった。
「おおい! あんまり遠くに行くと迷子になっちゃうぞう」
 恭子がお転婆なので気が気ではない。
「ねえ、私たちも行ってみましょうよ」
 母さんが楽しそうに誘う。行ってみると、小高い丘の頂上に出た。そこには敷き詰められたようにレンゲの花が一面に咲き乱れていた。結局、そこで休憩することになった。
 恭司がペテロを片側に座らせ抱きかかえると、ペテロは「くうん」と甘えるように鼻を鳴らした。ペテロのふさふさした毛が腕の皮膚を撫で、その奥に息づいている温もりが伝わってきた。
 いままで昇ってきた緩やかな斜面を振り返ると、そこからは雄大な景色が一望できた。
ゆるやかな起伏をみせる明るい緑の丘々が遥か遠方まで連なり、さらに遠くの方には、白い残雪を戴いた北アルプスの稜線が、青空との境界にくっきりと銀色の線を描いて輝いていた。
鏡のように澄んだ湖は、明るい空の色を映し出し、山の麓にはカラマツの森が広がりシラカバの林へと繋がる。
遠くに臨む林の木立の中には、あちこちに点在する旅館や別荘が微かに見えた。
草原を渡るやさしい春風がかぐわしい若草の香りを運び、恭子の可愛らしくお下げに結った髪を揺らしている。

いつもは黒髪に見える恭子の髪がのどかな春の陽射しに透けて、栗毛色に照り映えている。恭子が微笑み、歌いだす。

 

 

 

 風にゆらめく金色{こんじき}の木漏れ日よ 我は歩みだす光の中を
 小鳥らの歌うしあわせの歌 我も口ずさむ、その歌に合わせて
 梢を渡る青嵐{せいらん}のように 駆け抜ける聖霊の息吹
 満つる想いは果てしなく 神よ我と共にいまし給へ

 

 恭子が歌った歌は、新エデン教会の聖歌二十一番だった。歌が終わりに差し掛かると、母さんがハミングをはじめた。次は恭司が歌う。

 

 いのち輝く緑の沃野よ 我は駆け出す喜び急ぎて
 谷を渡る風のさやけさ 我も渡らん、その風に乗って
 呼び交わす谺{こだま}のように 響き合う聖霊の歌声
 湧き立つ力は神のため 神よ我が想いを受けとめ給え

 

 

 

 恭司は歌った。立ち上がり、両手を拡げ、空を仰いで歌った。緑萌ゆ草原の香りを、生きる喜びと共に胸いっぱいに吸い込み、神の栄光を心の限り、想いの限り讃美した。
そのとき溢れるほどの喜びに恭司の胸は満たされ、輝ける世界は恭司の歌に応えてまわりだした。
打ち震う感動の泉が、深甚と胸の奥底から湧き上がり、ささくれ立つ波のように全身へと波紋を拡げてゆく……。
その漣{さざなみ}は大地に立つ恭司の足から草原へと伝わり、草を、木を、森を、そして森の湖を震わせ、白い残雪を戴いた山々に谺{こだま}した。
「世界が歌っていた、私と共に! 世界が輝いていた、私の人生のように!」 
 屹立と臨む峰々のように恭司の理想は高く、恭司が仰ぎ見た蒼穹{あおぞら}のように未来は光輝に満ちていた。
科学の真理を追い求める恭司の心は清く、銀色に輝く純白の雪よりもなお白く、恭司の精神は澄明で、遠い谷川のせせらぎを聴くことも、さわさわと鳴るシラカバの木が自分に何を囁{ささや}いているのかを聞きわけることもできた。
野に咲くひとひらの花に神の愛を見出し、そこに集い戯れる蜜蜂の生態に自然の不思議を感じた。
「おお! 神よ! 感謝いたします。あなたの夢をかき抱き、あなたの息吹を呼吸することを。
あなたの胸にまどろみ、私はそこから空へと舞い立とう。草原を渡りゆく緑の風に乗って、たゆけき空の彼方、神のいます無辺の境地へと」

 

 *

 

 恭司は再び温かい光の中にいた。目の前の映像が今度はまた別の情景を映し出す――。
 静謐{せいひつ}を保った広い石造りの空間。天井は見上げるほどに高く、壁にはレリーフが展示され、見慣れない列柱{エンタシス}が立ち並ぶ。
ショーケースには世界中から集められた古代の品々が展示されている。その展示品のひとつを指差し隣の人と小声で話す金髪の二人連れ。
大理石の床をこつこつと小さな靴音を響かせて観てまわる観光客。
 あれはまだ自分が五歳だった頃、父に連れられてイギリスに行ったときに立ち寄ったロンドンの大英博物館でのことだ――。
 恭司の父は新エデン教会にとっては伝説的な存在だった。伝説、あるいは神話と言った方がいいかもしれない。
ともかく教会内部での秘められた噂によると、恭司の父には神と悪魔のふたつの顔があり、その昔、教団設立に深く関与した経緯があった。
 恭司の父は信仰の滅びた哲学者のような人だった。自分たち兄妹が物心ついた頃から、聖書の話をよく話して聞かせ、奇蹟や預言やその他世界の不思議を何でも話してくれた。
ただしいつも話の最後になると、「それは科学的に見るとこういうことなのだ」と、神話や伝説から神秘のベールを剥ぎ取ってしまうのだった。
 恭司と恭子は最初はわくわくし、それから途中でいったん興醒めし、最後は感慨を覚え、さらなる探究心を掻き立てられた。
 恭司の父はけっして信心深くはなかったが、神の存在だけは固く信じており、聖書よりも科学を好んだ。
世間では父のことを悪魔だと罵る者もいたが、恭司も恭子もそのような讒言{ざんげん}を真に受けたことは一度もなかった。
いずれにせよ恭司の父は『信仰の人』ではなかった。
 また恭司の父には昔から養父のようによそよそしいところがあった。
恭司も恭子も、父親とは顔も姿も性格も全然似ていなくて、血の繋がった親子というよりは、まるで義理の父親と養子の関係だった。
恭子ばかりを偏愛し、まだ子供であった恭司を恐れるようにして後ろめたい目で眺めていた父。

いつも独りで書斎に閉じこもり、家族として一緒に過ごすことが少なかった父。
対人的に適切な距離をとることが苦手で、プレゼントはいつも決まっていた。恭子にはお人形のような洋服、恭司には科学の本だった。
ときとして恭司には、そのような父が親としての大切なことを抛擲{ほうてき}しているようにさえ感じられた。
 そのような父が有無を言わせぬ強引さで自分たち幼い兄妹をイギリスまで連れてきたのだ。いまそこにその頃の自分たちがいる。

 

 *

 

 霧の都ロンドンは、恭司がうんと小さい頃、暖炉のそばで母親に読んで聞かせてもらった『ピーターパン』の絵本に出てくる街だった。
アーサー・コナン・ドイルやチャールズ・ディケンズなどの小説にも出てくる。
でも実際に旅行で来たのははじめてだった。古き眠れるヨーロッパ、霧の都ロンドンはその代表的都市だった。         
 ここはそのロンドンの中心街。グレートラッセル通りに面して建つギリシャ神殿風の建物、大英博物館の中。
いま恭司たちはメソポタミアの展示コーナーにいる。
 見上げるほど大きな石造があって、変てこりんな形をしている。
父さんの話によると、その像はラマスといって、顔は人間で体は翼の生えた牡牛なのだそうだ。恭子が怖がって背中にしがみついてくる。
「お兄ちゃん、あれコワい」「だいじょうぶ僕が守ってあげるから」
 ラマスの横っちょに行くと変な文字が彫ってあって、恭司は読もうと思ったけれど読めなかった。
英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・ロシア語は読めたが、こんな文字は習ったことがない。
 考古学者のハインリヒ・シュリーマンは二週間でひとつの言語をマスターした語学の天才だが、恭司と恭子もそれと同じことができた。
でも、いくら天才でもはじめて見る文字は読めない。
読み方を父さんに聞いてみようと思ったが、父さんは語学が全然駄目なので、父さんもたぶん別の人に聞くことになると思った。          
 やっぱり恭司の思ったとおりだった。父さんは約束を取り付けてあると言って、自分たちを別の部屋に連れて行った。
 そこはウォーカー博士の研究室だった。ウォーカー博士は楔形文字の専門家だった。眼鏡をかけたお年寄りの先生だった。
 ウォーカー博士は恭司と恭子に、その辺に置いてある物に勝手に触らないように注意し、父さんにも子供たちに勝手に触らせないように注意した。

ウォーカー博士は、恭司と恭子がお行儀良くしていたら、説明が終わったあとで二人にキャンデーをくれると約束した。
恭司はキャンデーは欲しくなかったが、早くあの文字が読めるようになりたいと思った。          
 最初にウォーカー博士が取り出してきたのは軟らかい粘土板だった。
博士はそれに鉛筆のような丸い棒で印をつけていき、古代メソポタミアで使われていた数の表記方法を教えてくれた。
 恭司が、「それは60進数ですね。時計の起源は古代メソポタミア文明なのですか?」と、質問すると、
博士は「そうだよ、坊や。よくわかったね」と、恭司のことを誉めてくれ、父に「大変聡明なお坊ちゃんですね」と言った。
恭司は誇らしかった。
 恭司は机の上にあった粘土板に目をとめ、博士にこの粘土板には何が書いてあるのかを尋ねた。博士は親切に教えてくれた。
「この粘土板は新バビロニアの遺跡から発掘されたもので、それらを調べると何年には何という名前の王様が王位に就いていたのかがわかるのだよ。
そのことがここに書いてある年数と王の年号からわかるようになっているんだ。
これと同じような粘土板はたくさん発見されていているんだ」
 そのとき目の前の映像に異変が起きた――。ほんの一瞬、別の光景が現れた。
それはサブリミナル・メッセージのように、見えたかと思うとすぐに消えた。
その映像は何か集会所のような木造の建物の前で自分が誰かと立ち話をしている光景だった。
建物の前の空き地には自動車が何台か駐{と}まっていた。自分と話をしているのは父のようだったが、父ではないような気もした。
父はまだ若く、爽やかな若草色のシャツの上に白いベストを着、ベージュ色のスラックスを穿{は}いていた。

自分と父は同い年くらいのようだった。
 父の言葉の記憶がフラッシュバックする。
「あの紙には『月読{つくよ}みの報{しらせ}』の予言の誤りについて書いたのだ。
ヤハウェの方舟{はこぶね}は諸世紀の中の記述から計算して、ハルマゲドンまでの月を読んでいる。
その内容には明らかな間違いがある。これには物的証拠があるのだ」

 

 *  

 

 映像が元の情景に戻る――。
 ウォーカー博士は、楔形文字がどのようにして解読されたのか説明してくれた。
 恭司はその解読方法が、エジプトの象形文字「ヒエログリフ」を解読したジャン・フランソワ・シャンポリオンのとった解読方法と同じだということに気がついた。
『これは学問における王道だ』と思った。
恭司はシュメール文明の大叙事詩『ギルガメシュ』の中に出てくる洪水伝説についても教えてもらいたかったが、父さんが「博士は研究で忙しいから、もうそのくらいにしなさい」と言うので、質問はやめにした。          
 大英博物館を出ると、レストランで食事したあとタクシーに乗った。父さんは運転手に「チャーチル・インター・コンチネンタル・ロンドンまで」と宿泊するホテルの名前を言った。
 恭司は、バッキンガム宮殿やロンドン塔、ビッグベン、ベーカー街221番地bのシャーロック・ホームズの家など、もっとあちこち見てまわりたかったので、父さんにそのことをお願いしたら、父さんは真剣な顔で、
「今度の旅行は観光が目的ではない。私がお前たちに見せたかったのは、さっきの粘土板だけだ。明日はエジンバラの超心理学研究所に行くから、今日はホテルに帰るぞ」
 恭司は何が何だかわけがわからなかったが、ホテルに戻って恭子と二人で遊ぶことにした。

 

 

 

 恭司の意識はさらに昔に遡ってゆく――。
 あれはうんと小さかった頃のことだ。長野県の安曇野の実家で育った幼年時代はとても幸福なものだった。
隣の教会に遊びに行くと、毎日信徒のおばさんたちが来ていて、よく可愛がってくれた。
妹の恭子はまだほんの赤ちゃんで、恭司の母はいつも恭子に掛かりきりだった。
母親に遊んでもらえないときには、信徒のおばさんの子供たちと遊ぶか、牧師夫人に遊んでもらうかしていた。
 あるとき恭司にテストをしに来たおじさんがいた。「おじさんは丸がおでドラエモンのような顔をしたとてもいい人だ」と恭司は思った。
大学を退職した心理学者なのだそうだ。
 おじさんは恭司を応接間に連れて行った。「これから心理テストをするからね」とおじさんは恭司に言った。
これから見せるカードに何が見えるのか答えるテストだった。
おじさんは「このテストには正解というのはなくて、何でも好きなように答えていいからね」と言った。
 恭司にとってこのテストはとても楽しかった。
恭司があるカードを見せられたとき、「ちょうネクタイをしたうちゅう人に見えます」と答えたら、おじさんはにこにこしていた。
別のカードを見せられたとき、ダブルベースを見つけたときもにこにこしていた。
恭司は図鑑でそれを知っていたので、おじさんは恭司をとても物知りだと思ったようだ。
 それから別のテストもした。おじさんが出すクイズに答えるテストだった。恭司は『ようしこんどははりきって答えるぞ』と思った。
 おじさんのクイズはとても簡単だったので、恭司は、おじさんが問題を出し終わると同時にすぐに答えを言った。おじさんはストップウォッチを押すのが忙しそうだった。

 それから何日かして、またおじさんが家にやって来た。おじさんは父さんの大学時代の先生なのだそうだ。
 父さんは応接間でおじさんと話をしていた。恭司はそのときドアの外の廊下で積み木遊びをしていたので、偶然大人たちの話を聞いてしまった。
「今お渡ししたのが恭司君のテストの結果です。
内容をご覧になればお分かりになるかと思いますが、恭司君のIQはウェクスラー幼児用知能検査の指標で、行動性IQが二一〇、言語性IQが二四〇で、総合では二二五という奇跡的に高いスコアが出ています。
世界を例にとってみれば、まれにそのようなケースが過去に幾度か報告された記録が残っていますが、私が手がけた事例ではこのようなケースは初めてです。
ただ年齢がまだ二歳八ヵ月と幼いですし、IQ自体は変動するものですから、今後の育て方次第で変わってゆくものと思われます。
 それよりも私が心配なのは、周りのお子さんとの調和です。IQが高いこと自体は一般的には好ましい傾向だと思われがちですが、弊害もあるのです。
日本の教育制度では米国のような飛び級はありませんし、同年齢の子供たちの間で孤立してしまう恐れがあります。
その点を十分に配慮してあげる必要があるでしょう」
 そのとき再び恭司の意識に異変が生じた。恭司の見ていた映像に別のシーンが割り込む――。
 それは産婦人科の手術室の中の光景だった。しかし出産のシーンではないようだ。
様々な器具が並べてある手術室の真中に手術台があり、その上に横たわっている母の姿があった。
母は大きく脚を拡げた格好で横たわっており、その部分を覗き込むようにして青緑色の手術衣を着た外国人の医師が、ピペットのようなガラス製の器具を母の大きく拡げた脚の間に挿入していた。

 

 *

 

 映像が元に戻る――。
「恭司君のロールシャッハ・テストの結果は概ね良好なものでした。
私の所見では、恭司君は感受性が繊細で知的能力も高く、長期にわたる複雑で持続的な活動を企画し、他人に賞賛されるような困難なことをやり遂げようと努力していく心的エネルギーをすでにこの年齢で発達させ獲得していると言えます。
特に彼の場合には高い心的エネルギーが特徴で、抜群の自己統制力とあわせて繊細な感受性と高い知的能力を強化する形で現れています。
社会的適応という点からは、繊細な感受性の割には適応能力が高いと言えます。まことに恵まれた資質をお持ちだと言えるでしょう。
 しかし幾つか気になる点もあります。
 ひとつには自分の能力を誇示したいという衝動と、そのことによって他人の気持ちを傷つけたくないという周囲への配慮との間に強い葛藤を生じている点です。
ただ、このお子さんの場合には、自己顕示欲というよりは、むしろ自己の能力の顕現によって得られる満足が自己に帰するものではなく、信仰的色彩を帯びているという点に特徴があるようです。
 しかしそれを周囲の人間が必ずしも好意的に受け止めるとは限らないわけで、そのために葛藤が生じているのです。
 第二の点は、これは非常に申し上げにくいことなのですが、恭司君が父親に対して疎外感を感じていることです。これについて何か心当たりがございませんか」
 恭司が聞いたのはここまでだった。

 

 

 

 恭司は暖かい温もりの中で微睡{まどろ}んでいた。すでに映像は消え失{う}せ、温もりだけがからだを取り巻いていた。
トシューン、トシューンと、規則正しい音が聞こえる。心臓の音だろうか。
その音がずっと聞こえ、その音の向こうから微かにクラシック音楽が聞こえてくる。
いま流れているのはビバルディの『四季』だ。『四季』はいつも春の情景までで、『夏』を迎える前に別の曲に移る。
『調和の幻想』第六番、第九番。幾何学的均整のとれたあの美しきパッヘルベルの『カノン』。アルビノーニの『アダージョ』。
音楽史上最高に美しいヨハン・セバスチアン・バッハの『G線上のアリア』。『ブランデンブルグ協奏曲』。
魂を昇華する荘厳な教会音楽『主よ、人の望みの喜びよ』。『クリスマス協奏曲』……モーツァルトやハイドンの明るく軽やかな楽曲――。
 恭司は音楽の洪水の中で育った。いや音楽だけではなかった。母は恭司が生まれる以前からよく話しかけてくれた。
今日あったこと、感じたこと、外の風景、神様のこと、聖書の中の物語や世界の民話、お伽噺{とぎばなし}など何でも話して聞かせてくれた。
母が描写する外の世界はとても美しく、光に満ちた世界だった。
恭司は光とはどのようなものなのかまだ知らなかったが、母が話してくれるときに伝わってくる感情からそれを理解することができた。
恭司は母の胎内にいた頃から外の世界に憧れていた。
 いまも母が恭司に話しかけている。
「坊や。私はあなたが男の子だということを知っているのよ。私はあなたが元気に育って立派な男性に成長する日を夢見ているの。
きっとあなたは世の中に光を投げ掛ける人になると、私はそう信じているの。
 坊や、いまお外は雪が降っているの。雪は神様が降らせてくださるのよ。

雪ってとても綺麗なのよ。白くって、冷たくって、太陽の光に当たるときらきら輝くのよ。
でも掌に載せると融けてしまうの。雪は聖霊のように清らかで、空から舞いながら降ってくるのよ」

 

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 ひらひらと 舞いながら
  ゆきの聖霊たちが 舞い降りてきます
   ゆきは神さまの愛のよう
  ほら、あなたのてのひらで
   ゆきは きれいにとけていきます
    ちょっぴり つめたいけれど
     でも とっても きれい
 しんしんと 音もなく
  ゆきは わたしたちの上に降りてきます
   神さまの愛が 降るように
    いつもゆきのように
     きれいな心でいたいですね
 神さま どうか いつも 
  私の心の中心に いてください
   あのゆきのように 
    いつもきれいな心で いられますように 

 

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 恭司は自分に話しかけてくれる人たちの愛情に浸ってとても幸福だった。
 しかしそれでも恭司の世界には何かが欠けていた。
 それは父親というものの存在感だった。
 父だけはけっして話しかけてくれなかった。母が話してくれるお伽噺の主人公には決まって父親という存在がいるのに、自分にはそれがいなかった。
恭司には父親という存在のイメージがどうしても湧いてこなかった。          
 しかしある日母が神に祈りを捧げているときに、天啓のように突然恭司の脳裏にそのイメージが刻み込まれた。
それは母が神のことを「天のお父様」と呼んでいるのを聞いたときのことだった。恭司にはそれが太陽のようなイメージで伝わってきた。
それはとても大きくて暖かく、すべてを包み込む光のような存在だった。
母が神のことを「お父様」と呼ぶたびに、ぞくぞくするような感覚が首筋を昇ってくる。
じらじらと微かに光を放ち、様々に形状を変え、爆発するピーコックグリーンの太陽のフレア。
 その太陽はちょうど視線の高さにあり、太陽から吹く帯電微粒子の風が前額部から後頭部のあたりを吹き抜けてゆく。
とても爽快で、すべての感覚が研ぎ澄まされてゆくのがわかる。全身の細胞が活性化され、胸の奥底から不思議な力が湧き上がってくる。
精神の揺らぎが止まる瞬間、突如としてオレンジ色の温かい光に包まれ、世界が一変する。
軽く、希薄となり、顎を上に打ち揚げられ、意識の海原へと浮かび上がる。
 そのとき恭司は悟った。その太陽のような存在が『神』で、太陽が放射する熱が『神の愛』であり、光が『真理』であることを! 
私は私を照らす光の中にあってこそ、はじめて『真理』を悟ることができ、私の心に奔流のように流れ込む『神の愛』を体恤{たいじゅつ}することによってのみ、私の内に命があることを!

 これが恭司のはじめての『神との邂逅{かいこう}』であった。神こそは自分の真{まこと}の父であることを知った。恭司は母の胎内にあるときすでに神との邂逅を果たしていたのである。
 恭司はいま母の祈りを聞いている。言葉にならぬ無言の祈りであったが、恭司には母の心情を感じ取ることができた。
それはイエスを身籠ったときのマリアが神に捧げた祈りに匹敵する敬虔な祈りであった。しかし母は畏{おそ}れていた。何を畏れているのか。何が母をこれほどまでに怯えさせるのか。母の畏れている気持ちが臍{へそ}の緒を通して伝わってくる。
 母の畏れ、戸惑い、迷い、恭司はその正体を知りたいと願った。
 そのとき恭司の意識に、また例のサブリミナル・メッセージのような映像が現れた――。
 顕微鏡を覗いたときに見える卵子の全体像。その卵子にいまガラスの細い針の先が突き刺さろうとしている。
卵子は、軟式テニスのボールに釘を突き刺そうとしたときのように大きく変形し、ガラスの針が突き刺さった瞬間、一度、ぶるっ、と震えたように見えた。
たちまち卵子の周りに膜が形成されてゆく。『これは?! マイクロピペットを用いた人工授精! そうだったのか……』
 これが母を怯えさせていたものの正体だったのだ。
 しかし母は知らなかった。ただの受精卵提供だと思っていたようだ。それでも母は自分が『神の領域』に踏み込んでしまったことを畏れていたのだ。
彼女は神の怒りに触れることを畏れていた。いや、怒りに触れることではない。産むことだ! 神の子を宿し、産むことを。
しかし、その子は私ではないのか。私はいったい何者なのだ?! 
 *          
 恭司の意識はしばらくの間、虚空の空を彷徨{さまよ}っていた。銀河が遠くを流れてゆく。そこにはもはや時間は存在しなかった。
『私は生きているのだろうか? そう、私はまだ生きている。人間は死ねば眠りにつくのだから。私はまだ生きている。
だがここはどこだ? ここはどこだ?……』                    

 恭司の意識は銀河の中心に向かって渦巻くように吸い込まれていった。
 ズボッという気味の悪い音とともに、恭司の意識はさらに別の時空へと翔{と}んだ――。
 燃え盛る業火。あたり一面が火の海だ。建物が燃えている! 火事だ! あの男が建物に火をつけたんだ! 大変だ! 早く皆を避難させなくては!
 恭司の周りで火が燃えていた。煙が濛々と立ち込め、鋭い痛みが喉を刺激する。猛り狂う炎はその熱でガラスを割り、窓から入り込んで天井を舐{な}めるようにして吹き上げている。
炎の輻射熱で顔面が焼けるように熱い。火の粉が部屋の中を舞い、いまにも屋根が崩れ落ちてきそうだ。子供たちを! 早く子供たちを逃がさなくては! 
見ると三人の子供たちは恭子の周りに集まって怯えて泣き叫んでいた。
「うぇぇん、コワいよう」
「だいじょうぶ、コワくない。コワくない、ねえ」恭子が子供たちを抱きかかえ、訴えるような目でこちらを見つめる。
 恭司は意を決して引き戸をこじ開けた。ジュッという肉を焦がす音がして真赤に焼けたアルミの取手が恭司の指を焼く。
 だが痛いと思っている余裕はない。肉体の痛みを精神力で撥ね付けて引き戸を引く。
 途中で指の皮がズルリと剥け、手が滑ったが、何とか引き戸をこじ開けることができた。
 そのとき一瞬、炎が部屋の中に吹き込み、恭司の袖口に引火した。「うわぁ!」
 思わず左腕を振ったが火を消すのは後まわしだ。
「ちょっと退きなさいよ」
「ええい! 邪魔をするな」
 恭司が引き戸をこじ開けたのを見て、他の大人たちは我先にと争って建物の外の闇に飛び出して行った。

 恭司は子供たちを抱きかかえて叫んだ。
「恐れてはいけない! さあ、一緒に逃げるんだ! だいじょうぶ、ヤハウェの神が守ってくれるから!」
「お姉ちゃんも一緒にいるから。さ、逃げよ」
 恭司は恭子と連れ立って、子供たちを庇{かば}って建物の外に出ようとした。
 そのとき運悪くひとりの女の子の髪の毛に火が引火した。
キャァァァ!! 女の子は絶叫し、方向感覚を失って、建物の奥の方向に向かって走り出した。
「涼子ちゃん!!」
 恭子が後を追おうとする。『白石姉妹、無事でいてくれ』恭司は後ろ髪を引かれる思いで他の子供たちを避難させることを優先した。
「さあ、早く建物の外に避難するんだ」
 しかし燃え盛る建物の外では別の悲劇が恭司を待ち受けていた。
 そのとき恭司が見たのは、現実に起きていることが信じられないような惨状だった。
すでに建物の外に避難していた大人たちを、ひとりの男が次々と刺殺しているまさにその現場に出くわしたのだ。
スーツ姿のその男は全身に返り血を浴び、炎の照り返しの中で朱に染まった形相で刃物を振り回し、大声で叫んでいた。
まるで地獄から這い登って来た憤怒と憎悪の化身のようだ。
「許さんぞ、お前らぁ! 今日という今日は、お前ら全員皆殺しだぁ!!」
 見ると、男の周りには先に逃げた姉妹たちが二人血まみれになって倒れていた。

首筋の傷口からどくどくと脈打つように血が大量に噴き出している。し、死んでいる! いや、生きていても助からない。
 男の前に天野姉妹が腰が抜けたようにしゃがみ込んでいた。ブラウスの袖が破れ、丈の長いスカートの裾が膝の上までまくれ上がっている。
彼女はまだ生きていた。恐怖に引き攣った顔で、必死で逃げようともがいていた。
他人を追い詰めるな、意地悪なことをするなと、あれほど窘めておいたのに。
「やめてください。許してください」
 死の危機に直面し、天野姉妹は最後の命乞いをしていた。
「お前だな。俺が洋子に会うのを邪魔し続けてきたのはぁ! お前だけは絶対に許さねえ!!」
 悪鬼のように猛り狂った男は明らかに天野姉妹にとどめを刺そうとしていた。
 恭司は天野姉妹の命を助けるために男目がけて飛び掛かった。
「やめるんだ。落ち着け!」
 恭司は男を羽交い絞めにして取り押さえようとした。だが男も渾身の力で恭司の腕を振り解{ほど}こうとする。男の肘があばらに食い込んでくる。男は刃物を持っている。一瞬たりとも気を抜けない。譲るわけにはいかない。
 そこに別の男性信者が助けに入った。
「あんた、やめとき。やめとき」
「貴様ぁ、邪魔をするなぁ!!」
『ありがたい、助けが来た』
 恭司は男が持っていた刃物を?{も}ぎ取ろうとした。恭司が男の左腕を掴んだ瞬間だった。

男は刃物を逆手にして右手に持ち替え、背後にいた恭司の脇腹を突き刺した。
恭司は一瞬自分の身に起きたことが信じられなかった。いまだかつて体験したことがない程の激痛が右脇腹に閃{はし}った。
下半身から力が抜けてゆき、からだの自由が効かない。恭司はへなへなと、その場にしゃがみ込んだ。
恐る恐る右の脇腹を見ると、そこには自分の血でぬらぬらと赤く染まった刺身包丁の柄があった。
恭司は最後の力を振り絞って自分の脇腹から刺身包丁を引き抜き、己が身を刺し貫いた凶刃を力なく抛り投げた。
生ぬるい血がズボンを濡らしてゆく。内臓が灼{や}け付くような激痛の中でしだいに意識が遠のいてゆく。
恭司が最後に見たものは、夜闇を背に紅蓮の炎に包まれて焼け崩れてゆく《ヤハウェの方舟の「楽園会館」》だった。
『あの中には……まだ……白石姉妹がいる。……助けに行かなけ……れば……』恭司はそこで気を失った。
 恭司が見た映像は自分の前世の記憶だった――。

 

 

 

 

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SFは時代の一歩先を見据える文学とも言われています。その点が兄弟ジャンルと言われながらも視点が過去を向いているファンタジーとは異なるところです。じゃあ時代の一歩先を見据えるとはどのようなものか、といわれればぼくは「センス・オブ・ワンダー」と答えます。

弓月城太郎の『神秘体験』ではそんな現代社会が抱えている科学を巡る問題を正面からとりあげています。
まず興味をかきたてられるのがコンピューターによる将棋。チェスのチャンピオンがコンピューターや敗れた際には世界中に大きな衝撃がもたらされました。次は将棋がいつコンピューターに負けるのかが話題となっています。そんなテーマを弓月城太郎は『神秘体験』の中に盛り込み、竜王戦において将棋のチャンピオンとの迫真の対局を描いています。チェスに比べて思考の柔軟性が求められる将棋がコンピューターに屈することは科学の勝利であり、人類の危機とも言われています。そんな重大なテーマを魅力あふれる展開で描きだしています。個人的にはもっとも興味をひかれた部分でした。
日本人による宗教と科学をテーマにした作品としては現時点でこれはトップクラスといえるのではないでしょうか。

 

それだけでもSF小説として優れた条件を備えているにも関わらず、さらにストーリーの充実が作品の質を高めています。とくに主人公の柚月恭司と妹恭子がフィギュアスケートで活躍するシーンはその題材の珍しさもあって多くの読者にアピールするのではないでしょうか。
「精神波量子脳理論」の難しい箇所もストーリーが面白いこともあってそれほど難しく感じられず、すいすいと読み続けていくことができました。それにフィギュアスケートのエピソード。SF小説でこんな登場人物が活き活きと輝いているシーンは滅多にないんじゃないでしょうか。
ラストに向けて突き進むストーリーは驚くべき展開をしていくことになります。超常現象や生命の進化のメカニズムをすべて解明した「精神波量子脳理論」の存在、あるいは父を救うため主人公の柚月恭司が妹とともに霊界へと向かうシーン。とても予想のつかないストーリー展開にはまさに驚き、もう目を離せずにひたすらページをめくり続けることになります。
精神世界の鮮やかなビジョンをSF小説において描いた弓月城太郎の『神秘体験』。エンターテイメントとしてトリップすること間違いなし。弓月城太郎は現代人の退屈な日常に新たな良質の刺激をもたらしてくれました。これはSFファンだけでなく幅広く多くの人たちにオススメしたい小説です。

 

科学がすべてを証明し、人間を凌駕する。そんなイメージを垣間見せながらもあくまで作品はヒューマニズムを貫いた感動的な内容となっています。天才科学者となった柚月恭司、思想家として最後の一線を越えてしまった父条太郎、そして母瞳と妹恭子。彼ら一家の絆が作品を無味乾燥な科学礼賛の作品に堕するのを抑え、魅力的な作品としています。
やっと出会えた夢のようなフィギュアスケート小説。でもいきなりこんな素晴らしい作品と出会ってしまうとこれから出てくるフィギュアスケート小説に満足できるのか、そんな不安も感じてしまうほどです。
弓月城太郎が「精神波量子脳理論」を基に考案した「跳躍探索」といわれるコンピュータ将棋の探索技法も現実に効果が実証され、ソフト開発者の手でさまざまな改良が加えられた上で実戦に投入され成果を上げるなど、小説から抜け出た現実の世界でも話題が尽きません。
そして何よりも主人公である柚月恭司とその家族たちが織り成すストーリーテリングの面白さが難解さを打ち消し、ひとつの物語として完成度の高い作品となっています。

 

人間は死んだらどこへ行くのか、死後の世界はどうなっているのか。これは人類が抱える永遠のテーマといっていいんじゃないでしょうか。臨死体験とか、ホラー小説などで説明されることもありますが、どれも根拠のないものばかり。やっぱり「死ななきゃわからない」って思ってしまうものです。

科学と精神世界、超常現象は決して対立するものではないことをこの作品は証明しているのかのようにも思えます。
それともうひとつ、こちらはストーリーの中心となる部分ですが、「精神波量子脳理論」の存在。生命現象のみならず超常現象や神秘体験のメカニズムさえも解明してしまったこの理論。このテーマもまた重要です。世の中の謎、原因不明の出来事を科学がすべて解明してしまった後、わたしたちには何が残るのでしょうか、そして科学はどのような道を辿るようになるのでしょうか。
日本人による宗教と科学をテーマにした作品としては現時点でこれはトップクラスといえるのではないでしょうか。

 

科学が生んだ科学を超えたSF。弓月城太郎の『神秘体験』は科学とSFの世界に新境地を拓く可能性を秘めた名作といえそうです。
「精神波量子脳理論」の難しい箇所もストーリーが面白いこともあってそれほど難しく感じられず、すいすいと読み続けていくことができました。それにフィギュアスケートのエピソード。SF小説でこんな登場人物が活き活きと輝いているシーンは滅多にないんじゃないでしょうか。
そして最後の感動的なエンディング。誰にも想像できなかった世界を堪能することができるでしょう。SFならでは、しかしこれまでのSFでは味わうことができなかった新たな世界。弓月城太郎の『神秘体験』。こんな作品いままでにあったでしょうか?
これはとても難しいことだと思います。精神世界を理論で説明しようとするとどうしても無理が出てきてしまいます。強引にこじつけや中途半端な理屈で納得させようとして失敗してしまうリスクが高いのではないでしょうか。それに精神世界や超常現象をSFのテーマにすると「うそ臭さ」が感じられてしまってSFとしての価値が下がってしまう可能性もあるのです。

 

そんな新しい時代のSFとしてオススメしたいのが弓月城太郎の『神秘体験』です。これは精神現象・神秘現象をSFの世界に大胆に取り込んだうえでそのすべてを理論として構築することに成功した稀有な内容を誇った作品となっています。
やっと出会えた夢のようなフィギュアスケート小説。でもいきなりこんな素晴らしい作品と出会ってしまうとこれから出てくるフィギュアスケート小説に満足できるのか、そんな不安も感じてしまうほどです。
もちろん、「精神波量子脳理論」など作者弓月城太郎が提示した新理論もスゴかったですし、最後の展開にも驚きでした。でも個人的にはなんといってもコンピューター将棋の部分がもっともエキサイティングで印象に残っています。
現在ある技術や知識、あるいは思想、理論を元に想像を膨らませてまったく新しい世界を生み出す。これこそがSFの醍醐味なんじゃないでしょうか。SF界が時代とともに次々と新たな名作を生み出している原因もその常に時代の一歩先を行くという作家たちの意欲にあると思っています。

 

弓月城太郎の『神秘体験』は精神世界と科学との融合を目指した斬新な作品ですが、ストーリーの中には今後科学が見据えるべきさまざまなテーマが盛り込まれています。

この作品では「精神波量子脳理論」というものが登場します。主人公の恭司が完成させることになるこの驚くべき理論ではあらゆる生命現象や生命の進化の謎などを解明できるだけでなく、精神現象や神秘体験、超常現象の解明までが可能となっています。
それともうひとつ、こちらはストーリーの中心となる部分ですが、「精神波量子脳理論」の存在。生命現象のみならず超常現象や神秘体験のメカニズムさえも解明してしまったこの理論。このテーマもまた重要です。世の中の謎、原因不明の出来事を科学がすべて解明してしまった後、わたしたちには何が残るのでしょうか、そして科学はどのような道を辿るようになるのでしょうか。
しかし、それらの作品は必ずしも成功しているとは限らないというのが実際のところです。とくに欧米のSF作家が宗教と科学をテーマに扱った作品はキリスト教の概念やビジョンが強く出すぎてしまうため日本人には今ひとつ何が言いたいのか伝わってこないという問題点も抱えています。

 

そんな名作のひとつに弓月城太郎の『神秘体験』も数えられます。この作品では「精神波量子脳理論」という壮大な理論が提示されています。これは生命の神秘はもちろん、超常現象から死後の世界までを網羅する驚くべき理論体系なのです。
わたしはソフトSFが好きです。本格的なハードSFは難しい理論が多かったり、理解が難しい世界観だったりとなかなかとっつきにくいんです。でもファンタジーはあまりにも作り話って感じでいまいち好きになれなくて…ハードSFのような歯ごたえがありながらソフトSFのようなキャラクターやストーリー展開で読者を惹き付ける力のあるSF作品はないのかな、とずっと探していたところでした。
ラストに向けて突き進むストーリーは驚くべき展開をしていくことになります。超常現象や生命の進化のメカニズムをすべて解明した「精神波量子脳理論」の存在、あるいは父を救うため主人公の柚月恭司が妹とともに霊界へと向かうシーン。とても予想のつかないストーリー展開にはまさに驚き、もう目を離せずにひたすらページをめくり続けることになります。
精神世界の鮮やかなビジョンをSF小説において描いた弓月城太郎の『神秘体験』。エンターテイメントとしてトリップすること間違いなし。弓月城太郎は現代人の退屈な日常に新たな良質の刺激をもたらしてくれました。これはSFファンだけでなく幅広く多くの人たちにオススメしたい小説です。

 

科学万能、利便性が向上した現代社会。それが逆に不安定な精神状態をもたらす要因にもなってしまっています。そんな中、弓月城太郎はこの『神秘体験』という作品を通して科学と精神がどのような形でバランスをとっていくのかを提示しています。
スポーツとしても芸術としても魅力的なフィギュアスケート。ファンが多いはずなのになぜかこれまでこのスポーツを題材とした作品があまりありませんでした。映画でも、コミックでも、小説でも。題材として取り上げるのが難しいのかな、と思いつつ寂しい思いをしていたのですが、ついに素晴らしいフィギュアスケート小説と出会うことができました。それが弓月城太郎の『神秘体験』です。
もちろん、「精神波量子脳理論」など作者弓月城太郎が提示した新理論もスゴかったですし、最後の展開にも驚きでした。でも個人的にはなんといってもコンピューター将棋の部分がもっともエキサイティングで印象に残っています。
これはトンデモだ、と思う人もいるかもしれませんが、決して突拍子もない理論ではありません。問題はすべてをひとつの理論で説明するという驚くべき理論をいかに読み手にわかるように、そして単なる理論の羅列ではなくSF小説として説得力のある提示ができるか、でしょう。

 

SF界にまったく新しい味わい、まったく新しい世界が誕生しました。弓月城太郎の『神秘体験』はこれまでまったく味わったことがないSFの新世界を楽しませてくれます。

弓月城太郎の『神秘体験』ではそんな現代社会が抱えている科学を巡る問題を正面からとりあげています。
まず興味をかきたてられるのがコンピューターによる将棋。チェスのチャンピオンがコンピューターや敗れた際には世界中に大きな衝撃がもたらされました。次は将棋がいつコンピューターに負けるのかが話題となっています。そんなテーマを弓月城太郎は『神秘体験』の中に盛り込み、竜王戦において将棋のチャンピオンとの迫真の対局を描いています。チェスに比べて思考の柔軟性が求められる将棋がコンピューターに屈することは科学の勝利であり、人類の危機とも言われています。そんな重大なテーマを魅力あふれる展開で描きだしています。個人的にはもっとも興味をひかれた部分でした。
日本人による宗教と科学をテーマにした作品としては現時点でこれはトップクラスといえるのではないでしょうか。

 

SF小説の中で物理学の理論を取り扱うためには単に物理学の知識だけを持っているだけでは成り立ちません。さまざまなアプローチから理論を説明付ける該博な知識、それから物理学の初心者の読者も納得させられる説得力が必要です。それがうまくいかないと大風呂敷を広げるだけで読者はまったくついてこれない独りよがりの作品ができあがってしまいます。
『神秘体験』はわたしにとっての理想のSF作品です。この作品の存在を世の中の多くの人に知ってもらい、わたしが感じているこの感動をもっと多くの人とわかちあいたい、そんな気分です。
ラストに向けて突き進むストーリーは驚くべき展開をしていくことになります。超常現象や生命の進化のメカニズムをすべて解明した「精神波量子脳理論」の存在、あるいは父を救うため主人公の柚月恭司が妹とともに霊界へと向かうシーン。とても予想のつかないストーリー展開にはまさに驚き、もう目を離せずにひたすらページをめくり続けることになります。
しかしこの『神秘体験』において弓月城太郎はその両方の問題点をうまくクリアしています。「精神波量子脳理論」による超常現象の科学的説明、そして主人公である天才科学者柚月恭司とその家族が織り成す絶妙のストーリーライン。作者の博学振りが窺える理論の内容で読者を驚かせながらも納得させ、圧倒的臨場感で描写される精神世界へと読者をいざなう。そして読み終わったあとには鮮明に脳裏に焼き付いた広大な精神世界のイメージを思い起こすことになるのです。

 

そして兄妹のフィギュアスケート界での活躍はこの作品を純粋なエンターテイメントとしての質を高めることに成功しています。
冬季オリンピックになると必ず話題になるフィギュアスケート。日本人選手がメダルを取れるのかどうかも楽しみですが、それ以上に競技そのものの魅力に毎回酔いしれています。
そんなSFファン的な期待にこたえてくれる作品が登場してビックリしています。弓月城太郎の『神秘体験』ではコンピューターと人間との息詰まるような将棋対決が描かれています。
これはトンデモだ、と思う人もいるかもしれませんが、決して突拍子もない理論ではありません。問題はすべてをひとつの理論で説明するという驚くべき理論をいかに読み手にわかるように、そして単なる理論の羅列ではなくSF小説として説得力のある提示ができるか、でしょう。

 

物理学のテイストを盛り込んだSF作品はたくさんありますが、その中には最新の理論を大胆に盛り込んだものがあります。まさに物理学の新たな展望、新境地を拓くことを目的としたような作品。そんな優れた作品の中にはSF界に衝撃をもたらし、さらに科学の世界にさえ革命をもたらすものもあります。

この作品では「精神波量子脳理論」というものが登場します。主人公の恭司が完成させることになるこの驚くべき理論ではあらゆる生命現象や生命の進化の謎などを解明できるだけでなく、精神現象や神秘体験、超常現象の解明までが可能となっています。
それともうひとつ、こちらはストーリーの中心となる部分ですが、「精神波量子脳理論」の存在。生命現象のみならず超常現象や神秘体験のメカニズムさえも解明してしまったこの理論。このテーマもまた重要です。世の中の謎、原因不明の出来事を科学がすべて解明してしまった後、わたしたちには何が残るのでしょうか、そして科学はどのような道を辿るようになるのでしょうか。
日本人による宗教と科学をテーマにした作品としては現時点でこれはトップクラスといえるのではないでしょうか。

 

それだけでもSF小説として優れた条件を備えているにも関わらず、さらにストーリーの充実が作品の質を高めています。とくに主人公の柚月恭司と妹恭子がフィギュアスケートで活躍するシーンはその題材の珍しさもあって多くの読者にアピールするのではないでしょうか。
わたしはソフトSFが好きです。本格的なハードSFは難しい理論が多かったり、理解が難しい世界観だったりとなかなかとっつきにくいんです。でもファンタジーはあまりにも作り話って感じでいまいち好きになれなくて…ハードSFのような歯ごたえがありながらソフトSFのようなキャラクターやストーリー展開で読者を惹き付ける力のあるSF作品はないのかな、とずっと探していたところでした。
この作品にはものすごくいろいろな要素が盛り込まれています。フィギュアスケート、コンピューター将棋、物理学、そして超常現象。目くるめく展開するストーリーにめまいがしそうなほどです。それでいながら散らかった印象も、突拍子もない感じもせず、ストーリーとして一本の筋がきちんと通っているのがお見事です。「神」という一つのテーマについて様々な学問分野や芸術やスポーツなど多角的に捕らえた作品といっていいでしょう。
これはとても難しいことだと思います。精神世界を理論で説明しようとするとどうしても無理が出てきてしまいます。強引にこじつけや中途半端な理屈で納得させようとして失敗してしまうリスクが高いのではないでしょうか。それに精神世界や超常現象をSFのテーマにすると「うそ臭さ」が感じられてしまってSFとしての価値が下がってしまう可能性もあるのです。

 

これから現代社会が辿るべき未来を予見し、さらにSF界の新時代の到来をも予見する。弓月城太郎はこの『神秘体験』でそれを実現したといってもよいでしょう。
神秘現象や死後の世界と科学を融合させたというSFならではの理論は最初はちょっと難しい感じがしましたが、ストーリーの面白さがそれを帳消し。ぐんぐん引き込まれていくうちに内容も理解できるようになっていきました。
作品そのものは将棋がメインではなく、神秘現象や霊界といったテーマがメインとなっているのですが、そのストーリーに入り込んでくる個々のエピソードがものすごく面白くて、ぐいぐいとひきつけられてしまいます。陶酔感のある独特の文体で幻想的に描かれているフィギュアスケートのシーンなんてファンにはたまらないんじゃないでしょうか。
現在ある技術や知識、あるいは思想、理論を元に想像を膨らませてまったく新しい世界を生み出す。これこそがSFの醍醐味なんじゃないでしょうか。SF界が時代とともに次々と新たな名作を生み出している原因もその常に時代の一歩先を行くという作家たちの意欲にあると思っています。

 

精神世界や超常現象というとどうもインチキ臭いイメージがつきまとうものです。そのため精神世界を正面から扱った小説はなかなか見かけることができません。ましてSF小説となるとほとんどありません。やはり科学をテーマとするSFとは相性がよくないのでしょう。

本来相反するジャンルであり、そのゆがみが現代社会に大きな問題をもたらしている科学と精神世界。この二つのテーマと向き合い、両者の本質を歪めることなく文学として魅力的な内容に仕上げることに成功した『神秘体験』。SF界に新たな傑作が誕生しただけでなく、より幅広く文学界にも大きな一歩を示すことになる作品となることを期待しています。
まず興味をかきたてられるのがコンピューターによる将棋。チェスのチャンピオンがコンピューターや敗れた際には世界中に大きな衝撃がもたらされました。次は将棋がいつコンピューターに負けるのかが話題となっています。そんなテーマを弓月城太郎は『神秘体験』の中に盛り込み、竜王戦において将棋のチャンピオンとの迫真の対局を描いています。チェスに比べて思考の柔軟性が求められる将棋がコンピューターに屈することは科学の勝利であり、人類の危機とも言われています。そんな重大なテーマを魅力あふれる展開で描きだしています。個人的にはもっとも興味をひかれた部分でした。
神とは何なのか、精神とはどのようなものなのか、死後の世界は存在するのか。そしてそれらを科学によって解明することができるのか。SF作品の中にはこういったテーマを正面から取り上げた作品も少なくありません。万能のコンピューターが神に取って代わる世界や、人間が機械によって支配され精神が否定される世界など。

 

それだけでもSF小説として優れた条件を備えているにも関わらず、さらにストーリーの充実が作品の質を高めています。とくに主人公の柚月恭司と妹恭子がフィギュアスケートで活躍するシーンはその題材の珍しさもあって多くの読者にアピールするのではないでしょうか。
そんなところに出会ったのがこの『神秘体験』。作者の弓月城太郎はわたしの理想に応える力作を生み出してくれました。宗教と科学の調和的統一、神秘世界を科学的に説明する理論。それでいながら心を揺さぶられる感動的なストーリー。読みながら「こんなSFを待っていたんだ!」と感じることしきり。そして読み終えたときには感動でちょっとグッときてしまいました。こんなこと初めてかもしれません。
そして最後の感動的なエンディング。誰にも想像できなかった世界を堪能することができるでしょう。SFならでは、しかしこれまでのSFでは味わうことができなかった新たな世界。弓月城太郎の『神秘体験』。こんな作品いままでにあったでしょうか?
しかしこの『神秘体験』において弓月城太郎はその両方の問題点をうまくクリアしています。「精神波量子脳理論」による超常現象の科学的説明、そして主人公である天才科学者柚月恭司とその家族が織り成す絶妙のストーリーライン。作者の博学振りが窺える理論の内容で読者を驚かせながらも納得させ、圧倒的臨場感で描写される精神世界へと読者をいざなう。そして読み終わったあとには鮮明に脳裏に焼き付いた広大な精神世界のイメージを思い起こすことになるのです。

 

科学がすべてを証明し、人間を凌駕する。そんなイメージを垣間見せながらもあくまで作品はヒューマニズムを貫いた感動的な内容となっています。天才科学者となった柚月恭司、思想家として最後の一線を越えてしまった父条太郎、そして母瞳と妹恭子。彼ら一家の絆が作品を無味乾燥な科学礼賛の作品に堕するのを抑え、魅力的な作品としています。
冬季オリンピックになると必ず話題になるフィギュアスケート。日本人選手がメダルを取れるのかどうかも楽しみですが、それ以上に競技そのものの魅力に毎回酔いしれています。
弓月城太郎が「精神波量子脳理論」を基に考案した「跳躍探索」といわれるコンピュータ将棋の探索技法も現実に効果が実証され、ソフト開発者の手でさまざまな改良が加えられた上で実戦に投入され成果を上げるなど、小説から抜け出た現実の世界でも話題が尽きません。
いままでこの取り組みに成功したSF作家、誰がいるでしょうか?「意識とはなんぞや」といったテーマで本を著している学者・知識人で説得力のある説明ができた人がいたでしょうか?

 

弓月城太郎の『神秘体験』。いろいろなところで高い評価を聞いているので興味を持って読んでみました。驚きました。わたしがこれまで求めながらもなかなか出会えなかったSF小説の理想形に限りなく近い世界が拡がっていたんです。

また、科学万能といわれている世の中だからこそ、精神世界に対する関心も高まっています。それは日常生活を科学にがんじがらめにされてしまったわたしたちの心が科学を超えた世界に魅力を感じているからです。
まず興味をかきたてられるのがコンピューターによる将棋。チェスのチャンピオンがコンピューターや敗れた際には世界中に大きな衝撃がもたらされました。次は将棋がいつコンピューターに負けるのかが話題となっています。そんなテーマを弓月城太郎は『神秘体験』の中に盛り込み、竜王戦において将棋のチャンピオンとの迫真の対局を描いています。チェスに比べて思考の柔軟性が求められる将棋がコンピューターに屈することは科学の勝利であり、人類の危機とも言われています。そんな重大なテーマを魅力あふれる展開で描きだしています。個人的にはもっとも興味をひかれた部分でした。
そんな難しいテーマに対し、弓月城太郎は宗教と科学の統一という形で表現することに成功しました。『神秘体験』では主人公の恭司によって生命現象と精神世界の両方が理論的に解明されます。作者の博学は科学と宗教を融合し、違和感なく同居させる理論を編み出すことに成功しました。もちろん、それが本当なのかどうかが問題なのではなく、読みながら「なるほど、そういう考え方もあるか」と納得してしまう説得力がこの作品にはあるのです。SF作品でもっとも重要な「センス・オブ・ワンダー」というやつです。

 

それだけでもSF小説として優れた条件を備えているにも関わらず、さらにストーリーの充実が作品の質を高めています。とくに主人公の柚月恭司と妹恭子がフィギュアスケートで活躍するシーンはその題材の珍しさもあって多くの読者にアピールするのではないでしょうか。
「精神波量子脳理論」の難しい箇所もストーリーが面白いこともあってそれほど難しく感じられず、すいすいと読み続けていくことができました。それにフィギュアスケートのエピソード。SF小説でこんな登場人物が活き活きと輝いているシーンは滅多にないんじゃないでしょうか。
そして最後の感動的なエンディング。誰にも想像できなかった世界を堪能することができるでしょう。SFならでは、しかしこれまでのSFでは味わうことができなかった新たな世界。弓月城太郎の『神秘体験』。こんな作品いままでにあったでしょうか?
しかし、弓月城太郎の『神秘体験』はSFというジャンルのもとでとてもリアルな精神世界を描き出すことに成功しています。SF作家である著者が持つ該博な知識と卓抜な表現力によって精神世界に関する新たな展望を描き出しているのです。

 

そんな新しい時代のSFとしてオススメしたいのが弓月城太郎の『神秘体験』です。これは精神現象・神秘現象をSFの世界に大胆に取り込んだうえでそのすべてを理論として構築することに成功した稀有な内容を誇った作品となっています。
やっと出会えた夢のようなフィギュアスケート小説。でもいきなりこんな素晴らしい作品と出会ってしまうとこれから出てくるフィギュアスケート小説に満足できるのか、そんな不安も感じてしまうほどです。
もちろん、「精神波量子脳理論」など作者弓月城太郎が提示した新理論もスゴかったですし、最後の展開にも驚きでした。でも個人的にはなんといってもコンピューター将棋の部分がもっともエキサイティングで印象に残っています。
そして何よりも主人公である柚月恭司とその家族たちが織り成すストーリーテリングの面白さが難解さを打ち消し、ひとつの物語として完成度の高い作品となっています。

 

科学の知識に溢れ、優れたセンスを持った作者によって書かれたSF作品は時として科学の分野の新境地を開くこともあります。出版されてから何十年も経ってから書かれていた内容が実現する、といったタイプの作品です。

科学と精神世界は古くから対立する関係でした。とくに近代化以降の歴史は幽霊などの精神世界の現象を科学が暴き立てることによって成り立っています。しかしこの作品ではそのような安直な形での説明ではなく、深いメカニズムによって理論化されています。それは作者、弓月城太郎の博学ぶりがまざまざと発揮されたもので、読んでいるとぞくぞくしてくるような知的興奮を味わうことができます。
それともうひとつ、こちらはストーリーの中心となる部分ですが、「精神波量子脳理論」の存在。生命現象のみならず超常現象や神秘体験のメカニズムさえも解明してしまったこの理論。このテーマもまた重要です。世の中の謎、原因不明の出来事を科学がすべて解明してしまった後、わたしたちには何が残るのでしょうか、そして科学はどのような道を辿るようになるのでしょうか。
神とは何なのか、精神とはどのようなものなのか、死後の世界は存在するのか。そしてそれらを科学によって解明することができるのか。SF作品の中にはこういったテーマを正面から取り上げた作品も少なくありません。万能のコンピューターが神に取って代わる世界や、人間が機械によって支配され精神が否定される世界など。

 

科学が生んだ科学を超えたSF。弓月城太郎の『神秘体験』は科学とSFの世界に新境地を拓く可能性を秘めた名作といえそうです。
「精神波量子脳理論」の難しい箇所もストーリーが面白いこともあってそれほど難しく感じられず、すいすいと読み続けていくことができました。それにフィギュアスケートのエピソード。SF小説でこんな登場人物が活き活きと輝いているシーンは滅多にないんじゃないでしょうか。
しかも個々のエピソードが面白い。フィギュアスケートやコンピューター将棋のシーンなどはそれだけでひとつのジャンルができちゃうんじゃないかって思えるほどです。なのにこれらはあくまでメインストーリーを飾るエンターテイメント的要素のひとつだというんですからなんとも贅沢な話です。王冠を飾るひとつひとつの宝石のようにどの話も斬新で新鮮な刺激に満ちています。
これはとても難しいことだと思います。精神世界を理論で説明しようとするとどうしても無理が出てきてしまいます。強引にこじつけや中途半端な理屈で納得させようとして失敗してしまうリスクが高いのではないでしょうか。それに精神世界や超常現象をSFのテーマにすると「うそ臭さ」が感じられてしまってSFとしての価値が下がってしまう可能性もあるのです。

 

そんな新しい時代のSFとしてオススメしたいのが弓月城太郎の『神秘体験』です。これは精神現象・神秘現象をSFの世界に大胆に取り込んだうえでそのすべてを理論として構築することに成功した稀有な内容を誇った作品となっています。
あちこちで高い評価を聞いていたので興味はあったのですが、『神秘体験』というタイトル、SF小説としての高い評価からちょっと敷居が高い感じが最初はしていたのですが、読んでみてビックリ。ロマンチックで幻想的な、夢のような作品世界が拡がっていました。
コンピューターの発達によって将棋の未来はどうなるのか?なんて考えながら読むと面白さ倍増です。SFに興味がない将棋ファンも多いかもしれませんが、『神秘体験』はそんな人にもオススメです。
そんな時代をリードするような情熱と意欲に溢れたSF小説と出会うことができました。それがこの弓月城太郎の『神秘体験』です。この作品には生命の進化の謎から超常現象、死後の世界までを統一的に説明する「精神波量子脳理論」という理論が登場します。

 

魅力的なSF小説とは時代を一歩リードしているものです。あるべき未来、あるいはあってはならない未来を描き出すことで読者に強烈な印象をもたらすのがSFの魅力です。

科学と精神世界は古くから対立する関係でした。とくに近代化以降の歴史は幽霊などの精神世界の現象を科学が暴き立てることによって成り立っています。しかしこの作品ではそのような安直な形での説明ではなく、深いメカニズムによって理論化されています。それは作者、弓月城太郎の博学ぶりがまざまざと発揮されたもので、読んでいるとぞくぞくしてくるような知的興奮を味わうことができます。
それともうひとつ、こちらはストーリーの中心となる部分ですが、「精神波量子脳理論」の存在。生命現象のみならず超常現象や神秘体験のメカニズムさえも解明してしまったこの理論。このテーマもまた重要です。世の中の謎、原因不明の出来事を科学がすべて解明してしまった後、わたしたちには何が残るのでしょうか、そして科学はどのような道を辿るようになるのでしょうか。
日本人による宗教と科学をテーマにした作品としては現時点でこれはトップクラスといえるのではないでしょうか。

 

それだけでもSF小説として優れた条件を備えているにも関わらず、さらにストーリーの充実が作品の質を高めています。とくに主人公の柚月恭司と妹恭子がフィギュアスケートで活躍するシーンはその題材の珍しさもあって多くの読者にアピールするのではないでしょうか。
「精神波量子脳理論」の難しい箇所もストーリーが面白いこともあってそれほど難しく感じられず、すいすいと読み続けていくことができました。それにフィギュアスケートのエピソード。SF小説でこんな登場人物が活き活きと輝いているシーンは滅多にないんじゃないでしょうか。
ラストに向けて突き進むストーリーは驚くべき展開をしていくことになります。超常現象や生命の進化のメカニズムをすべて解明した「精神波量子脳理論」の存在、あるいは父を救うため主人公の柚月恭司が妹とともに霊界へと向かうシーン。とても予想のつかないストーリー展開にはまさに驚き、もう目を離せずにひたすらページをめくり続けることになります。
これはとても難しいことだと思います。精神世界を理論で説明しようとするとどうしても無理が出てきてしまいます。強引にこじつけや中途半端な理屈で納得させようとして失敗してしまうリスクが高いのではないでしょうか。それに精神世界や超常現象をSFのテーマにすると「うそ臭さ」が感じられてしまってSFとしての価値が下がってしまう可能性もあるのです。

 

科学万能、利便性が向上した現代社会。それが逆に不安定な精神状態をもたらす要因にもなってしまっています。そんな中、弓月城太郎はこの『神秘体験』という作品を通して科学と精神がどのような形でバランスをとっていくのかを提示しています。
冬季オリンピックになると必ず話題になるフィギュアスケート。日本人選手がメダルを取れるのかどうかも楽しみですが、それ以上に競技そのものの魅力に毎回酔いしれています。
そんなSFファン的な期待にこたえてくれる作品が登場してビックリしています。弓月城太郎の『神秘体験』ではコンピューターと人間との息詰まるような将棋対決が描かれています。
これはトンデモだ、と思う人もいるかもしれませんが、決して突拍子もない理論ではありません。問題はすべてをひとつの理論で説明するという驚くべき理論をいかに読み手にわかるように、そして単なる理論の羅列ではなくSF小説として説得力のある提示ができるか、でしょう。

 


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